仮に日債銀を買収できても、日債銀信託銀行を切り離すのに約5年かかることがわかったのだ。
Y堂は企業連合から離脱せざるを得なかった。
ATMの共同出資会社の設立をやめ、銀行買収も不発に終わった。
金融業界からは「Y堂は迷走している」との声が広がった。
確かにSの思惑通りに物事が運んでいなかったのは事実だが、それは、「S」に訪れる消費者の利便性を第一に考えるという姿勢から見て、条件に合わなかったからだ。
その点でSらの考えは一貫していた。
最後に残った選択が単独での銀行設立だった。
99年11月末、Y堂は金融監督庁に銀行免許取得のための銀行設立趣意書を提出した。
数カ月前から暖めていた決済専門銀行としての免許取得に動き出した。
銀行だけでなく証券会社、生命保険会社など幅広い業種・業態にATMを開放する決済インフラを提供する内容だった。
Y堂とSは一度は中断したATM共同出資会社に参画予定だったS銀行などYを説得し、新銀行設立の協力要請をした。
また新たに静岡銀行、横浜銀行を加えることができ、Rで世界に類を見ない新銀行設立に向けた作業が始まった。
戦後の民間企業としては初めての銀行免許取得を目指すだけに、金融業界からの評価はまちまちだった。
速水優・日銀総裁(当時)は「金融サービス市場の競争をさらに活発化させていくとともに、利用者の選択の幅を広げるという点で望ましい」とY堂にエールを送ったが、金融再生委員長の越智通雄(当時、金融再生担当相)は「貸し出しを行わず、決済機能だけで銀行と言えるのだろうか。
自前のATMを設置して手数料収入だけで採算がとれるのか。
いろいろ検討したい」と必ずしも前向きとは言えなかった。
年が明けた2000年1月から本格的な協議に入った。
Y堂グループが銀行を設立することは、これまでの銀行側との関係が180度変わることを意味していた。
銀行側は「まるでオセロのゲームのような逆転劇」と渋い顔をしたり、「もしかしたら新銀行が設立されるまでY堂の都合のいいようにRが使われるのではないか」と、不安を漏らす関係者もいた。
その漠然とした不安に拍車を掛けたのが、Y堂側の担当者を務めた日銀の元幹部の存在だった。
そもそもこの幹部は、数年前に不良債権処理に苦悩する大手行のために資本注入に踏み切った際の担当者だった。
銀行側からすると「身内だと思っていた人がどうして反対側に座っているのか」と不信感を募らせた。
感情的なもつれもあり、Y堂側主導で話を進めようとすると銀行側は反発した。
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